ヤツの願いと器量の計り違いに、俺はどんどん落ちていく…

気胸物語VII

〜堕落編〜

 1999年4月5日、俺は姉を迎えに駅まで車を飛ばしていた。車を運転するといつも肺が苦しくなるのであまり運転していなかったが、今日は調子がよかったので母の代わりに迎えに行ったのだ。ロータリーで姉を拾い、またもと来た道をひき返した。
 横断歩道のあるT字路を左折しようとした時、いきなりおばさんが飛び出してきた!俺はとっさにブレーキを踏んだ。おばさんも止まる。……二人とも止まって動かない…しょうがないので俺が発進しようとブレーキを離した時、おばさんも同時に動き出した!またとっさにブレーキを踏む。おばさんも止まる。……また二人とも止まってしまった…しょうがないのでまた発進しようとブレーキを離すとまたおばさんが動き始めた!またとっさにブレーキを踏む。どうやら俺とおばさんはかなり息が合うらしい。
 結局俺は止まることに徹し、やっとT字路を曲がりきることができた。やれやれ、やっとまともに動けるぞと思った瞬間、とてつもなくイヤな予感がした。脇の下20センチのあたりで『ボコボコッ』という感触がしたのだ…もしやこれは…
 前回から3ヶ月半が無事に経過していた。少しずつ忘れてきたあの感触が、今じわじわと甦ってくる…
「…再発したかもしれん…」俺は3ヶ月半ぶりにその言葉を口にした。
「えーマジでー!?」と姉は驚いていたが、結局運転は変わってくれなかった。
 家に帰るとこたつに入り、すぐうつ伏せになった。そして深呼吸を始めた。神様、お願い、ヤツが完全に復活しませんように…!
 1時間くらいが経過した。俺はとりあえず起きあがってみることにした。すると……!!!……わずかに治っている!!!最初の痛みの3分の2ほどになっている。奇跡だっ!!まさにミラクルっ!!俺は心の中でぴょんぴょん飛び跳ねながらゆぅっくり二階の自分の部屋まで行き、ベッドで眠ることにした。この日深呼吸をした回数は、人生で一番多かっただろう。
 次の日は大学2年生1日目の授業があったが、まだ完全には治っていかなったのでいきなり休んだ。その次の日は車で送り迎えされながらもなんとか学校に行けた。着実に治っている。気胸は、自分で治せるんだ!!そう気づいた時、俺の人生に一筋の光が見えた気がした。
 そしてその次の日、ほぼ完全にヤツは消えた。本当に嬉しかった。俺は自力でヤツに克ったのだ!!

 4月23日、俺はサークルの新歓コンパに行った。飲み会の場はうるさいのでデカイ声でしゃべらなければならない。俺はあまりしゃべらないようにしていたが、話が弾んでついつい長くしゃべってしまった。
 飲み会の時間が終わり、さあ帰ろうと立って、下に置いていたかばんを取ろうと前かがみになったその時!またあの感触が俺を襲った!また脇の下20センチのところで『グググッ』という感触がした…これはもしや…!
 俺は急いで帰ることにした。なんとか家に帰るまで持ちこたえてくれ…!
 しかし俺の願いも虚しく、駅に着いた頃には半うつ伏せにならざるを得ない状態にまでヤツが襲ってきていた。俺は電話で駅まで迎えに来てほしいと告げ、そのまま電車に乗りこんだ。電車の中では座りながら上半身はうつ伏せになっていた。ずっと顔をあげないので、周りの人はよほどショックなことがあったか、泣いていると思っていたかもしれない。

 なんとか無事に家に辿り着いた俺は、すぐにベッドで寝ることにした。勿論深呼吸は常にしていた。
 次の日、少しよくはなっていたが、病院に行くことにした。O先生の話によると、あまりしぼんでないので自宅で安静にしているだけでいいらしい。入院は免れた。よかった…
 しかし、それから4日間はあまりよくならなかった。ずっとうつ伏せになって、ヤツの顔色をうかがっていた。俺はだんだん自分が情けなくなってきた。そして、こんな自分と付き合っている彼女にとても申し訳ない気がした。彼女は最近サークルの話をよくする。彼女の所属するサークルの人達は、みんなでひとつの事にうちこんでいるとても元気な人ばかりだ。それに比べて俺は、何もできずただベッドで這いつくばっているだけの無能なダメ人間にすぎない…
 彼女は俺にはもったいない…俺には人と付き合う資格なんてない…彼女はもっとイイ人間と付き合うべきだ…しかし俺から彼女を取れば、俺には何も残らない。それに、別れる勇気もない…そんなことばかり考えていた。

 それから3日後、ヤツはなんとか去っていった。しかし俺は自分に自信をなくし、さらに深みにはまっていくのであった…

[気胸物語VIIIへ] [トップへ戻る]